姫路城について

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姫路城について

姫路城の歴代城主について勉強してきました。諸説あるようですが、私が教えていただいたH先生によれば初代・赤松貞範から始まり、13家、48代酒井忠邦、つまり48人の城主がいるようです。

中には筆者と同じ姓の城主もおり、自分の家系をいつかは辿ってみたいと思います。このH先生の説明によれば、あの黒田官兵衛は14代城主になります。15代城主があの豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)、今の白鷺城の別称をいただいた白亜の城を築いたのが、18代城主池田輝政になります。池田家から豊臣秀吉の御台所であるお嚀の実家木下家を経て本多家に城主は移ります。

徳川家康の部下で四天王の一人、本多忠勝を父にもつ本多忠政が21代城主になります。忠政の息子が忠刻であり、そこに輿入れしたのが徳川家康の孫にあたる千姫になります。本多から奥平松平家、越前松平家を経て、榊原家に城主は移ります。

榊原忠次が28代城主になります。時は、元禄、犬公方の徳川綱吉の頃になります。忠次は姫路藩の中興の祖、姫路・加古川の治水を行いました。榊原家の途中に越前松平家が間に入り、また榊原家に城主は戻り、わけがわからなくなりますが、その後、大金をはたいて吉原の花魁を身請けする榊原政岑が35代城主。この花魁・高尾太夫を連れて、日光・館林・京都・姫路を移動、これが坂本龍馬に先だった日本最初の新婚旅行説もあるんだそうです。

榊原家から酒井家に城主は移り、江戸幕府最後の大老も酒井家が勤めました。

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